古宮夏希(Vo / Gt)の歌で描かれていることの多くは、何かが起きたり、感情が揺れ動いた瞬間ではなく、全てが過ぎ去って一人になったときにふと沸き上がった、自制しようもない思考だ。宙に浮かばせておくには忍びないから歌にしたというような、正直さと甲斐甲斐しさがある。一晩寝たら、忘れられるというのに。また厄介なのがうまくいっている最中でも、このあと雲行きが怪しくなる時のことを予見してしまうことだ。そんなときくらい手放しで楽しんでいればいいのに。
ミチノヒはそんな古宮の誠実でちょっと不器用な心情が表れた、フォーキーで字余り気味な歌を鈴木亜沙美(Dr / Cho)、遊佐春菜(Key / Cho)と共に肯定していくバンドだと思っている。この心の奥深くに沈殿している厄介な感情が手に取るようにわかるのだ。わかってしまうから、この3人の音楽はとても優しく響いてくる。
彼女たちの3年半ぶり3作目のアルバム『夢の日々』には、「ぼく」が「きみ」との心の距離について蛇行しながら思考した日々の轍みたいな楽曲たちが収められている。ときに愛おしく思ったり、ときに寂しがったり、振り回されたり、決別したり、でも酔っぱらってはまた懐かしんだり……。前作『but to do』(2018年)では〈何をどう言い間違っていたって 繋がっていることを信じているんだ〉(“窓の外の光と闇”)となけなしの希望と熱量を勢いで貫き通す場面もあった。しかし本作では揺らぐ自分の心の動きそのものにも、〈同じところを 行ったり来たりしているだけだ〉(M3“同じところ”)と冷静な眼差しを向けている。また〈すべては いつだって ここにあるだけ〉(M2“ロックンロール”)と掌中の現実を見据えながら、ただぼんやりとひとりで日常を漂泊しているようなトーンが通底している。
サウンドにおいては遊佐のシンセによるベースフレーズが引っ張るM3“同じところ”や、リズム&ブルース風味のM9“夜の中を歩く”などの変化球もあるが、あくまで古宮の歌をしみじみと味わえる3人だけのアンサンブルだ。最小限で構成された美しさが際立つ音像においてはエンジニアの中村宗一郎(PEACE MUSIC)による尽力も大きいだろう。また7曲目“高鳴り”は古宮のリーディングによるアコースティックギター弾き語りの小曲。これまで大半の楽曲が3分台に収まっていた中、4分台の楽曲が3曲あり、加えて全13曲という(ミチノヒにとっては)ボリューミーな大作となった。そこをこの曲がA / B面と分ける役割を果たすことで、余韻は残るが歯切れよいポップ・アルバムであることを足らしめている。
そして3人のコーラスワークが美しいM12“夢”と、タイトル曲M13“夢の日々”が連なって終わりを迎える。本作での「ぼく」が何度も夢を見ようとするのは、同時に現実では叶わないとどこかでわかっているからだ。わかっているのに、やっぱり思考は巡るから歌にせざるを得ないのだ。そんな日々を肯定してくれるミチノヒの音楽はたまらなく痛くて、いつも優しい。(峯 大貴)